福島2013.9

そうだ 東北に行こう

 

 201394日に,福島県双葉郡富岡町に行ってきました.富岡町はかつては花と緑にあふれ,漁港のある美しい町でした.しかし,東日本大震災後の東京電力福島第1原子力発電所事故で,警戒区域に指定され,立ち入りが制限されていました.現在は,帰還困難区域と居住制限区域に分断され,その境界はバリケードで封鎖され,防犯カメラが設置されていました.その日は気持ちのよい快晴で,押し倒されて損壊した防波堤にこわごわ登って海を見渡すと,小さな白い波の立つ濃青色の海が穏やかに地平線まで続き,少しだけ雲のある青い空とつながっておりました.振り返って町をみると,海に面した常磐線富岡駅の駅舎は津波で破壊され,駅前から続く住宅街と商店街は壊滅していました.家はほとんどが土台を一部だけ残して消失し,残っている家も一階部分は水の侵入でメチャクチャにされ,車が家の中に押し込まれていました.住人はひとりもいませんが,人々の恐怖と叫び声がこの地に残り,心に入ってきました.大地震と津波の被害に遭われた方々には大変な出来事でしたが,それでも,他の被災地は,復興への歩みは決して早いとはいえないけれど,確実に一歩ずつ進んでいます.それに対し,ここ富岡町は2011311日のままです.富岡町だけでなく第1原発周辺の町も同様なのだと思います.

 

三春町の第二シェルターおよび環境省シェルターでは,保護されてシェルターにいる犬猫たちの一部は,スタッフと信頼関係ができ,表情が豊かになっていました.以前は,保護された犬猫たちをお世話することが主体でしたが,今は,新しい家族のところへ行って,幸せになるための準備が進められています.

 

 福島から帰って来て数日後に,2020年の東京オリンピック開催が決定しました.日本中が歓喜に沸き返る中,被災地には複雑な思いの方々もいるようです.故郷の地で暮らせぬ悲しみの中,避難が続き,大変な思いをされている方も多いと思います.それでも,被災地に心を寄せる人はたくさんいます.オリンピックの成功は復興を成し遂げることと同じです.東京五輪を成功させるためにもたらされるものが,復興につながるものと信じています.そして,復興した日本で東京五輪を開催することができれば,最高の喜びです.

 

 東北大震災後,私が東北を訪れたのは今回で4回目です.訪れるたびに東北の復興は進んでいるように思えます.しかし,いまだに,避難している方は大勢います.原子力発電所事故もコントロールされているとは決していえません.人のいなくなった町は,魂を失った人のようでした.何が今,必要なのかと言えば,「人の心」なのだと思います.我々にもできることはあります.ひとりでも多くの人が被災地に心を寄せ続け,小さな事でもできることを続けることだと思います.何が出来るかわからないけど,何かできることをしたい,と思っている方は,まずは,東北に行ってみましょう.


© 太刀川 史郎 2013